ル・コルビュジエ (Le Corbusier)

美術手帖 2007年 06月号 [雑誌]

美術手帖 2007年 06月号 [雑誌]

ル・コルビュジエ(Le Corbusier.1887-1965.Swiss Confederation)
フランスで主に活躍した建築家。
本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(Charles-Edouard Jeanneret)。
フランク・ロイド・ライトミース・ファン・デル・ローエと共に近代建築の三大巨匠と呼ばれる(ガウディとグロピウスを加えて5大巨匠とすることもある)。
時計職人の父とピアノ教師の母の次男として生まれた。
時計職人を養成する地元の装飾美術学校に学んだ。
1908年にパリへ行き、鉄筋コンクリート造建築の先駆者であるオーギュスト・ペレの事務所に、1910年にはドイツ工作連盟の中心人物であったペーター・ベーレンスの事務所に籍を置き、建築を学んだ。(大学での建築教育は受けていない。)

1914年 ドミノシステムを発表。
1920年 ダダの詩人のポール・デルメ、ピュリスムの画家のアメデ・オザンファンと共に雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」(L'esprit Nouveau)を創刊。
1925年 パリ万国博覧会(いわゆるアールデコ博)では「エスプリ・ヌーヴォー館」を設計、同年パリ市街を超高層ビルで建て替えようという都市改造案を発表した。これ以降の各国の都市計画に大きな影響を与えた(著書「輝く都市」)。
1927年 ドイツ工作連盟主催の住宅展に参加。
1928年以降に開催されたCIAM(Congrès International d'Architecture Moderne、シアム、近代建築国際会議)では、ヴァルター・グロピウスミース・ファン・デル・ローエらとともに中心メンバーとして活躍した。
1931年  サヴォア邸は「近代建築の五原則」を象徴的に実践した。
「住宅は住むための機械である(machines à habiter)」という言葉はよく引用される。

1947-1952 集合住宅マルセイユのユニテ・ダビタシオン(L'unité d'habitation de Marseille)を建設。
1951- インドのチャンディーガルの建築顧問として都市計画に関わった。

1955 ロンシャンの教会堂はカニの甲羅を形どったとされる独特な形態で、鉄筋コンクリートで可能になった自由な造形を示している。
1965 南フランスのカプ・マルタンで水泳中に死去。