FINAL HOME (ファイナルホール)

ファイナルホーム icon


災害時や緊急時、一見何もないような日常に潜んだ危機的状況に何ができるのか?

ファッションデザイナーの津村耕佑が「究極の家」として1991から進めてきたプロジェクト。
1994より(株)イッセイ・ミヤケより商品化されブランドとして展覧会やショーをはじめ様々な分野で展開されている。


現在、広島市現代美術館で“
シェルター×サバイバル──ファンタスティックに生きる「もうひとつの家」” (会期:2008216日(土)〜413日(日))が開催中。
デザイナーやアーチスト建築家14名のプロジェクトが展示されている。


ジャケットが家になる。衣服と建築が融合する。
または建築の衣服化?

まさに現代の都市に漂う「ノマド」的なプロジェクトとして、リアルな試みとして評価できる。

このプロジェクトを聞いたときに、まず思い出すのが、1960年代をリードしたイギリスの建築家グループのアーキグラムArchigram )である。
ピーター・クック、ウォーレン・チョーク、デニス・クロンプトン、デビット・グリーン、ロン・ヘロン、そしてマイケル・ウェブという6人の当時若い建築家によって結成され、同時に編集・刊行されていた雑誌の名称でもある。ほとんど実作ではなくコラージュや先導的なテキストによって、既成の都市の概念を揺さぶった。
「インスタントシティ」「プラグインシティ」「ウォーキング・シティ」や人は歩く建築である」など様々な刺激的な提案を行ったことで有名だし「ウエアラブル」(装着可能な)なんていう言葉を提出し、身体と都市を結びつけるような未来的なコンセプトは「ファイナルホーム」を30年先んじていたし、技術的にも可能なくらいリアルなプロジェクトであり、なによりも新しい都市像や世界を予感させた。また前衛的なグラフィックやプレゼンテーションは、後にコールハースやザッハ・ハディットなどの建築家にも影響を与えた。また「非実体的環境調整器具」と題された作品で、ワルター・ヒッピラー(「ヘルメット」1967年ハンスホラインと協働)は水平に細長いヘルメットを発表した。「このヘルメットをかぶるとバーチャルな居間に身をおくことができる」という内容のプロジェクトで身体と空間の関係を分離し、仮想空間の可能性を示し、ホラインのいう「全てが建築である。」というアフォリズムを実証した。 衣服を皮膚の延長と考えるとき、建築はその身体を含む外皮になる。同時にその建築を同じく皮膚の延長とするとき、インテリアを含む内部空間は最大限身体と同化する。逆に建築を最大限(最小化)に身体化すると「ファイナルホーム」同様、衣服化されてしまう。
では、こんな思考のシュミレーションを行ったときに、どんな世界像が得られるのかと問うならば、アーキグラムやビッヒラーらが行った思考実験やプロジェクトには今日のこの世界を予言または実証するリアリティがあったということである。